-「YES」-
図書館の片隅にあるカフェで、物書きの友人がコーヒーを頼む。
着席すると、目の前に座る僕に視線を移し、堰を切ったように話し始めた。
「仕事先に、KEISUZUKIのデュマフリルを着てる方がいたんです。その場にいたみんなで盛り上がったんですよ!」
その日はファッションライティングの仕事で、何人かの仕事仲間と、ゲストを囲んだコーディネートの打ち合わせだったのだという。
彼女たちはデュマフリルを変わる変わる試着をしながら、その場にいない仕事仲間にも、電話ですぐ来るように、呼んだそうだ。
服をこよなく愛する女性たちがその一着を手に取り、裏の縫製から生地の質感に至るまで隈なく見て、
目を輝かせている。
「何より、着て来られた方の嬉しそうな顔が印象的でした。」
コーヒーを飲みながら、その光景を目に浮かべては、思わず顔がほころんだ。
きっとデュマフリルは、“私の目に狂いはなかった”という誇り
を、その纏った方に運んできたのだと想像する…ーー
少し語ってみたいと思うのだけど、僕の好きなデザインのルーツは、50年代後半に活躍したDIOR、Givenchy、Balenciagaなどのドレスたち。
所謂、今では貴重な歴史的作品として、ニューヨークのメトロポリタン美術館などに保管されているようなドレスたちだ。
きっとデザイナー本人は、いつか美術館に収まる作品を作ろう、なんて思っていたわけではないだろうけれど、結果的に仕立てた服は時代を経て、
美術品へと昇華した。
なぜだろうか。
50年代後半は、服を纏うことにメッセージが色濃く反映されていた時代だからだと考えている。分かりやすい例で言うと、当時はパートナーと
着飾ってタクシーで出かける社交の場があった。
『彼がビジネスを円滑に進めるための私の在り方ってなんだろう?』
時には、まだ女性という立場が弱い時代の中で、
『私がビジネスで成功するためには、どう自分を魅せるべきなんだろう?』
纏う服を選ぶときに、特別な想いやシーンなど『着るものを選ぶ理由』が必ずあった。
一方でデザイナーやテイラーは、ボリュームたっぷりのドレスやスカートのシルエットを実現させるために、縫い方やデザインに工夫を凝らしていた。
服の裏をひっくり返してみると、そこまでやるのかと思うほど緻密な技巧が見て取れる。
服にそれだけの情熱を注いでいたデザイナーたちと、それだけの情熱のある服を求めていた人たちがいる。
お互いに自分のスタイルを追求し、街を彩っていたことに、僕は夢を感じずにはいられない。
そして、その夢こそが、今の時代に生きる人々をも惹きつける芸術となったのではないだろうか。
”ライフスタイル的に着て行くところがない、忙しくてコーディネイトを考えるのが億劫、そもそも私なんかに似合わない。”
生きている限り、装いに対して色んなネックがあることはもちろんわかっているけれど、
『本当はウエディングドレスを選ぶ時のような高揚感を、日常で経験したいと思ってるよね?』
『本当は…お姫様になりたいって思ってるよね?』
僕はこの問いかけに、「YES」と言ってもらいたい。
そして、その背中を押してあげる作品を作りたいと思っている。
今の時代でも、仕事先にデュマフリルを着て自信を得た女性のように、
一着の服がドラマを連れてきてくれることは確かにある。
だから、どんな立場や環境にいたとしても、ときめいた服を見つけた時は言って欲しい。
「YES」
心の奥底では、世界中の女性たちが持っている返事だと僕は信じている。
Fin
Voice by kei Suzuki sentence by Ayaka Takahashi